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episode01
創業の原点

創業者 能美輝一

大正12年9月1日正午、関東大震災が京浜地区を襲った。
その被害はあまりにも大きく、能美防災の創業者であり元々貿易商を営んでいた能美輝一は

「4万人もの人間がこの狭い地域において瞬時にして死んだが、これは地震のためではなく火事のためである。 すなわち火事の威力のいかに大きいかと驚くと同時に、その火事を防ぐことの必要は、国民生活と直結した日々の重要課題であるので、 ひそかに義憤を感ずると同時に直ちに火事の研究に乗り出すことを決心した。
(能美輝一著「自叙」より)」

と、この惨状を目の当たりにしたことで、火災予防の研究へ傾倒することになる。
また、関東大震災の被害総額が当時の国家予算の4倍にまで上ったにも関わらず、当時としては誰一人関心を持たなかったことも能美輝一の闘志を湧かせる起因となった。

episode02
能美輝一奮起

防火用水

当時、日本の消防は消防の面でも予防の面でも精神に重きを置き、科学性に欠けていた。
延焼を防ぐため隣家を打ち壊すなど、いわゆる昔ながらの「火消し消防」を行っていたのである。
しかし、都市化と人口の過密化により、火災の被害は急増するばかりであった。
調査・研究の結果、今後の消防は、従来の消火機能重視から、予防に重点を移すべきであると確信した能美輝一は、後藤新平子爵をはじめ、政、官、軍、学、各界の諸名士を歴訪し、自らの意図する「消防のあり方」を説いて廻った。
そしてこれらの方々から、ご意見、ご批判、共感や激励の言葉をいただき、事業への決意を固めていったのである。

episode03
火災予防事業への決意

特許証

火災予防の事業を志した能美輝一のもとへ、さまざまな事業や物件が持ち込まれた。
その中で最も興味を引いたのは、自動火災予知器と称する特許品だった。
ちょっと手を触れるだけで、その温度に感応して警報ベルがなる鋭敏さに感心し、 能美輝一は金5千円也を支払って、販売契約を締結。
京橋区南鍋町に能美商会の看板を掲げ、宣伝販売に乗り出した。
時に大正13年3月のことである。
ところが特許品とは偽りで、英国人の持っている先願特許に触れ、拒絶却下済みのものであった。
だが能美輝一は挫折することなく、その事実から英国の火災報知技術を知り、1年余の交渉の末、すでに故人であったG・L・スミス氏の特許を遺族から譲り受け、自動火災報知機による防災事業をスタートさせた。

episode04
苦難の連続

困難を乗り越え、防災事業をスタートさせた能美輝一であるが、その出足を挫いたのは、防火に対する世間の無関心であった。
この壁を打破し、自動火災報知機を販売するには防火に対する認識の啓蒙運動を行わなければならなかった。
そこで能美輝一は、営業方針を根本的に立て直し、再び官界や政界、学界、事業界を歴訪。また書物にして、その所信を訴えた。
大蔵省、鉄道省、逓信省などの現業官庁におもむき、大臣、次官、局課長に説く一方、警視庁消防部、東京都市計画課、京都府、大阪府、市建築課に協カを懇請して歩いたのである。 その熱心さに「火事の能美」という異名がつくほどであった。
しかし、事業の実績は上がらず、私財はもちろん、他の事業収入を投じても経営状態は一向に良くならなかった。

episode05
国宝三十三間堂の奏効

京都東山妙法院門跡からの感謝状

昭和5年から8年にかけ、文部省宗教局の管理下で三十三間堂の大修築が行われた。
この時、日本で初めて国宝建造物に自動火災報知設備が設置されることになり、長年の能美輝一の地道な努力が報われ、その施工を請け負うことになったのだ。
3年計画で施工が行われ、昭和8年に完工。
そしてこの自動火災報知設備が、昭和11年5月4日未明の本堂出火時に奏効し、貴重な国宝の焼失を未然に防いだのである。
当時の新聞によれば、放火が原因とされているが、この時設置された防火壁、自動火災報知機、屋外火災報知機、貯水池、消火栓、夜警など、ほとんど完璧に近い防火態勢のもとでの事件だっただけに、聞係者の驚きは大変なものだったが、同時に能美の自動火災報知設備の優秀性が、改めて認められたのだった。

episode06
皇居への自動火災報知設備設置

皇居二重橋を背景にした工事関係者の集合写真

昭和3年に宮中の賢所御釜場、侍医寮、御写真場および御自動車場に自動火災報知機を設置した実績が認められ、昭和11年、宮内省から両陛下の御座所をのぞく奥宮殿全域に、自動火災報知機を設置するようにと御下令が届いた。
このことが設備の普及上どのくらい有意義であったか。当時の日本国民の感情から見ても、測り知れぬものがあった。
工事は6ケ月かけ無事に完了したのだが、この間、関係者全員が毎朝の斉戒沐浴の後、白衣を着用して作業に従事するなど、他では見られない光景もあった。
火災による被害を減らそうと奮闘してきた能美輝一の行動が、少しずつ国を動かし、皇居への自動火災報知設備設置という光栄に浴したのである。

信念のもと、粘り強く事業に取り組む創業期の姿勢は、
能美防災の精神として、
これからも脈々と引き継がれていきます。