能美防災について

創業の原点

関東大震災の惨劇が契機に

大正12年9月1日正午、安政、濃尾以来の大地震が京浜地区を襲った。のちに関東大震災と呼ばれるこの災害による被害は資料により若干異なるが、京浜地区を中心に死者9万1千余人、行方不明1万3千余人、負傷者10万4千余人に上るとされている。
とりわけ東京本所横網町の陸軍被服しょう空地における被害は大きく、死者・行方不明だけで3万8千人から4万2千人と推定され、東京都内で最大の惨状を呈した。
創業者である能美輝一はこの惨状を目の当たりにし火災予防の研究へ傾倒させるきっかけに、これ以上の出来ごとはなく、自叙伝の中でもこう述べている。

創業者 能美輝一

「4万人もの人間がこの狭い地域において瞬時にして死んだが、これは地震のためではなく火事のためである。すなわち火事の威力のいかに大きいかと驚くと同時に、その火事を防ぐことの必要さは、国民生活と直結した日々の重要課題であるので、ひそかに義憤を感ずると同時に直ちに火事の研究に乗り出すことを決心した。

  • 自叙伝より

また、関東大震災の被害総額が60億円と大正13年の国家予算の4倍にまで上ったにも関わらず、一般国民はもとより政治家、財界人、学者の間でもさしたる関心ごととならず、まったく消防一任という姿勢の社会状況も能美輝一の闘志を湧かせる起因となり、能美防災に現在まで変わらず流れつづける“ビジネスマインド”の原点でもある。